2017.12.4 月曜日

2017年11月25日 AAFMゼミナール報告その1 浅沼信治先生講演「若月先生と有機農業」


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2017年11月25日、小春日の連休の中日ではありましたが、社)日本アンチエイジングフード協会ではマイスター向け講座AAFMゼミナールを開催、かねてより学びたいと思っていた日本の「農医連携」の先駆者である若月俊一先生について講座を開催致しました。

講師は、佐久総合病院・(一財)日本農村医学研究所 客員研究員・農学博士である浅沼信治先生です。
「若月先生と有機農業」というテーマでしたが話は若月先生の軌跡だけにはとどまらず、今世界が抱えている農薬中毒や私達の日頃口にしている食物の汚染、そして私達がこれから何を食べていくのか、どう暮らすのかにまで考えさせられる内容でした。
内容が充実していますので前編・後編にわけ報告させていただきます。

講義の内容はおもにこの4つの内容でした。

  1. 若月先生のおいたちと佐久での主な運動
  2. 農薬中毒予防への取り組み
  3. 佐久市有機農業研究協議会の取り組み
  4. 食生活の変化。和食国産のすすめ

前半では1・2を後半では3.4についてレポートさせていただきます。

1.若月先生のおいたちと佐久での主な運動

若月先生は明治43年、1910年に生まれ、岐阜の農村で生まれた優しい母親の深い愛情のなかで育てられ、幼いころから農民の貧窮について聞かされていたようです。府立1中ころ結核にかかり入院します。その後、松本高等学校にすすみ、左翼思想に傾倒し、逮捕されるなど革新的な一面は若いころからだったようです。そのため軍隊では医師でありながら、思想的にけしからんと言うことで、軍医ではなく一兵卒として関東軍に加わりました。善良な庶民でも戦場という限界状況になると、暴力的になる。戦争は繰り返してはならないと何度も浅沼先生は訊かされたとのことでした。
その後、労働災害の研究により特高に眼をつけられ2度の逮捕を経験。その後東大の恩師・大槻先生のはからいで、佐久に赴任することになります。

(写真協力:佐久総合病院 浅沼信治先生)

(写真協力:佐久総合病院 浅沼信治先生)

しかし実際、農民の中にはいると、今まで大学で習った医学が、単なる外国医学のまねであって、日本の民衆のものでない、都会の富裕な階級だけのものであるという感を強くもつようになったということです。当時は、農村も不衛生で赤痢が流行るような時代でした。若月先生は、その原因を探るために、農村に出かけ農民の暮らしそのものを記録していったのです。

日本で初めての病院給食を始める。

昭和22年、1947年に日本で初めての病院給食が佐久総合病院に生まれました。当時は、「佐久病院の行けば若月の手術と銀シャリで病気が治る」という噂がされたようです。このときの若月先生の思いは、「食の平等」であったと言われています。往診のたびに、車改造して闇米が積みこみ警察も分かっていたようですが、黙認してくれたようです。

(写真協力:佐久総合病院 浅沼信治先生) 廊下で七輪を使い食事の提供をしていた。

(写真協力:佐久総合病院 浅沼信治先生)
廊下で七輪を使い食事の提供をしていた。

手術も家族に公開、社会病:脊椎カリエスに取り組む

若月先生は手術にも積極的に取り組みました。当時脊椎カリエスは結核菌が骨を冒し、死ぬまで寝たまま苦しみ続くものでした。若月先生は、この惨状を救いたいと、当時は無理と言われていた手術に取り組みます。農村の貧困や栄養不足から来る社会病として闘いました。
また病気になる前の症候群を、「肩こり」「腰痛」「手足のしびれ」「夜尿」「息切れ」があるかないかを調べ、農夫症を判断するなど、過酷な農作業や生活環境を改善するための手立てにしました。

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また若月先生は農村医学的テーマを分類しました、これを見ると今の予防医学の先端だったのではないかと思えてなりません。農業的因子・農家的因子・農村的因子など複雑なレイヤー毎の問題も非常に見える化にされまとめられています。

2.農薬中毒予防への取り組み

戦前には植物由来のものを改良して使われていた農薬ですが、第二次世界大戦を機に合成農薬が続々と登場します。人を殺す化学兵器としてエチルパラチオンがドイツで開発され、アメリカに情報が伝わると日本には「ホリドール」として登場します。
当時は、あまりその毒性が知らさないため霧になって撒かれる農薬を涼しいぐらいに感じたという信じがたい現象も起き、中毒患者がたくさん病院に運ばれたそうです。

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その後、多くの農薬が禁止になりましたが、また新たな農薬が生まれるなどこの問題は収束することはないように思えます。特にパラコートに関しては商品名:「プリグロックスL」として未だに販売使用されているとのこと。自殺者も多かったことから禁止されるべき農薬として強い印象を持たざるえを得ません。

また何回か話題にも上っているネオニコチノイド、生態系への環境破壊を招く農薬として取り上げられました。

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特徴的なことは、その浸透性と残留の強さです。残留農薬で検出される農薬として、常に上位を占める他、昆虫に対する毒性が強くミツバチがいなくなるとの報告はニュースなどで多く取り上げられました。またその高い浸透性から作物に残留しやすいのが特徴です。全国の分析センターから検出率の高い農薬を並べてみると、7種類あるネオニコチノイドのうち5種類が残留しやすい農薬の上位を占めているというのは驚きです。つまり洗ったから大丈夫ということは無いのです。

農薬と遺伝子組換えの種子との関係も取り上げられました。

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ラウンドアップ(除草剤)の他にもジカンバなど、遺伝子組換え種子以外の作物は全て枯れるという排他的な農薬です。アーカンソー州は、被害を受けた農家1000人の抗議を受け、ジカンバの使用禁止を検討、100万人の署名で実現の可能性があるとのことでした。

他にもスライドではアメリカや中国でのアルカディーブの中毒問題、特にしょうがなどはついつい安いからと中国産を手にとってしまいがちですが高濃度のアルカディーブが検出されていました。

若月先生が農村医療の健康を目指しながらも、時代は残念ながらものすごい勢いで農薬が経済的な勢いをつけて私達の食料に入り込んできたのはまぎれもない事実です。

どのようにすれば良いのか、次回のレポートでは、農薬を使用しない農業への取り組みと食生活について浅沼先生の講義からまとめます。

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