2016.10.12 水曜日
福島の現実を語る勇気と知る勇気 100年後の人々へ~原発の真実と未来への価値観~ 小出裕章さん 講演報告 2016年9月17日
9月のオープンゼミナールの講師は元京都大学原子炉実験所助教、小出裕章さん。原子力の抱える問題について啓蒙活動を続けてきた小出さんは、講演会のなかで「原子力は夢のエネルギー源ではない」と断言されています。
タイムリーなことに、つい先日 “夢の原子炉”と呼ばれ、期待を集めた「もんじゅ」の廃炉が発表されました。もんじゅには1兆円以上の税金がつぎ込まれましたが、トラブル続きでほとんど稼働していません。今こそ、原子力についてきちんと考える必要がある、そう強く感じます。
今回は、原子力の是非についてというよりも、原子力というエネルギー源についての基本的な内容、福島で起こった原発事故で何が変わったのか、100年先、私たちの次の世代が「健康で安心して暮らす」ためにどうすればいいのかなどを、知り、考えさせられる貴重な時間となりました。
産業革命をきっかけに起こった過ちとは
地球は生命体が根付いた希有な星です。私たち人類は、長い長い間地球に溶け込むように生活してきました。ところが、産業革命(蒸気のエネルギーを利用して機械を動かすようになって起こった産業や社会構造の変革)を境に使用するエネルギーの量が急激に増えます。
地球が誕生してからの長さを460m(講演会の会場から最寄り駅までの距離)とすると、産業革命が起こってからの時間はたったの0.02mm。地球の歴史からするとまばたきをするほどの時間で、人類は猛烈にエネルギーを使い、欲するようになりました。ここから人類の暴走が始まったのです。
人類が健康的に生きていくためには1日に2000kcalのエネルギーが必要と言われています。実際、世界には生きるためのエネルギーが不足している国(エネルギー窮乏国家群)が存在し、そうした国の平均寿命は短いという現実があります。
しかし、一方で深夜もこうこうと電灯がともり、暑い夏には寒く感じるほど冷房を効かせるなど、生きることとは関係のない享楽的なエネルギーを無駄遣いしている国(エネルギー浪費国家群)も存在します。
私たちが住んでいる日本は後者と言っていいでしょう。
夢のエネルギー源ともてはやされた原子力は幻だった
産業革命後、エネルギー浪費国家群は膨大なエネルギーを使い、欲するようになりました。もっともっと大きなエネルギーを追い求めた結果、原子力に手をつけたのです。
小出さんも原子力に夢をみた人間のひとりで、東北大学の工学部原子学科に進み、原子力の行く末に胸をときめかせていたそうです。当時の新聞には「原子力はとてつもないもの。大工場を必要とせず、燃えかすも出ない、ボイラーの水もいらない、電気料が2000分の1になる夢のエネルギー」とその魅力が紹介されていました。
ところが、ふたを開けてみれば、原子力発電とはウランという原料を燃やして(核分裂)熱を発生させ、その熱でタービンを回して電気を起こす、それまでと変わりない、単なる湯沸かし装置(蒸気機関)だったのです。火力発電で燃やす石油・石炭・水がウランに代わっただけでした。
しかも、ウランを燃やすと死の灰が生まれることもわかりました。ひとつの原子力発電所(100万KW)が1年運転するごとに、広島原爆で燃えたウランの重量がなくなる死の灰の1250倍ものウランが生み出されるというのですから、こんなおそろしい話はありません。
どんな機械もいつかは壊れます。小出さんは1970年代から大きな事故が起きる前に原子力発電を止めなければいけないと思い始めたそうです。
原子力のコストが安いというのはウソだった!?
原子力の原料であるウランの埋蔵量は石油や石炭などより少なく、化石燃料よりも先に枯渇してしまいます。そもそも、石油や石炭の枯渇を心配して頼ったのに、これでは意味がありません。
そこで、原発推進派は「非核分裂制のウランをプルトニウムに変えて利用すれば資源量が60倍に増える」と新説を打ち出しましたが、もんじゅの廃炉が決まったように、現在、プルトニウムを利用する原子炉は実現していません。
何より、「電気料が安くなる」というコスト面でのメリットも、表沙汰になっているのは原子力推進派に都合のいいみせかけの数字なのです。
原子力発電は一度動かし始めるとずっと運転し続けないといけないのですが、このコストが非常に高いのです。それをプラスすると火力発電や水力発電よりも圧倒的にコストが高くなってしまいます。実はこの数値には原子力事故にかかった費用は含まれていません。「原子力発電がなければ、いまよりももっと電気料を安くできていたはず」と小出さんはおっしゃっています。
そして、原発問題を話すときに忘れてはならないのが、原子力発電所が「電気を必要とする大都市から離れた地域に建てられている」ということです。
今回、事故が起こった福島の原子力発電所は東京電力の管轄です。
福島の人は何気ない生活がずっと続くと思って生活していたのに、ある日突然それが断ち切られてしまいました。それが5年半経ったいまも解消されていません。しかも、そこで作られた電気の恩恵を受けていたのは、遠く離れた都会に住んでいる人間です。こんな理不尽なことはありません。
福島の原発事故で起こったこと、いまも残る問題
日本政府がIAEA閣僚会議に提出した報告書によると、福島の原発事故で大気中に放出されたセシウム(人間にもっとも大きな影響をもたらす放射性物質)の量は、広島に落とされた原爆の168発分に相当するそうです。しかも、あのとき雨が降ったため広範囲の大地が汚染されてしまいました。
昨年に退職するまで小出さんが研究を行っていた施設は、「放射線管理区域」と呼ばれ、4万ベクレル以上汚染していたら、検査洋服は捨て、除染室で自分の体を必死で洗い流さないといけません。日本には4万ベクレル以上の放射性物質は管理区域外に持ち出してはいけないということに法律があるからです。
ところが、福島には4万ベクレル以上汚染されている場所がたくさんあります。法律上、存在してならない場所ができてしまったため、政府は「原子力緊急事態宣言」を発令して法令を反故にしました。
事故から5年半経とうとする今も「原子力緊急事態宣言」は解除されていません。セシウムは30年かかってようやく半減します。ということは、「原子力緊急事態宣言」は今後、数十年は解除できないということになります。
国やマスコミがグルになって「原子力はいいものだ。安全だ」というウソを信じさせてきた結果、事故は起きてしまいました。原子力を推進してきた大人には何かしら責任があります。でも、子どもにはなんの責任もありません。
それなのに、放射線ガン死の年齢依存性は大人よりも子どものほうが非常に高くなっています。原子力の暴走を許した年代(50代以上)は放射線の影響をほとんど受けず、なんの責任もない子どもは放射線の影響をとても受けやすいという皮肉な現実があります。
2010年までの原子力発電で、広島原爆に換算して120〜130万発分という死の灰をつくってしまっています(半減を考慮してもなお90万発分)。実は、死の灰の処分方法は決まっていません。日本では地下に穴を掘って埋め捨てにする「地層処分」することは法律で決まっていますが、どこに埋めるかは決まっていません。事故が起こらなくとも、処分できないゴミがどんどんたまっていくという大きな問題を抱えているのです。
処分できないゴミをつくる原子力発電所は必要でしょうか?
あなたはエネルギーを無駄遣いしていませんか?
消費に溺れていませんか?
これをきっかけに少し考えてみませんか?
講演のあとは、小出さん、白澤先生のトークセッション。
白澤先生によると、セシウムの害は体内で酸化ストレスを引き起こすのが主とのこと。イスラエルのワイズマン研究所はチェルノブイリで被爆した1000人の子どもを引き取り、赤血球の過酸化脂質の量を調べたところ、被爆した場所が近いほど過酸化脂質の量が多かったそうです。さらに、ビタミンAを服用することで過酸化脂質の量が減ったという報告も。
ビタミンAは抗酸化ビタミンです。放射性物質の害を少しでも軽くするためには、食事で抗酸化物質をとることが有効です。食事に気をつけることで害を減らすことは可能と考えていいでしょう。
そして、小出さんが何よりも大切とおっしゃっていたのは「子どもを被爆させてはならない」ということです。
放射能が含まれていない食べ物はありません。福島の原発事故が起きる前は、食品に含まれる放射能は1kg当たり0.1ベクレル程度だったそうです。
ところが、原発事故以降は1kg当たり100ベクレルまでの生産物は流通してもいいという基準に変更されました。原発事故前の1000倍です。そして、1kgあたり100ベクレルを超える生産物はたくさんあるそうです。残念なことに、その数値を正確に知るすべは現在ありません。
小出さんは「大人はあきらめるしかないけれど、子どもは配慮して欲しい。学校給食はせめて産地のわかっているものを選ぶべき。学校給食には西日本産の野菜を選んで欲しい」と強くおっしゃっていました。
今回、熱いトークが続き、最後は時間がギリギリになってしまったほど。皆さん、それぞれ何かを感じてくださったのではないでしょうか。
最後の質問の時間に、福島からいらっしゃった方が発言されたのですが、
「それでも私たちは福島で生きて行かないといけないんです」
という悲痛な叫びが忘れられません。
小出さんは最後、その方に
「私には福島の現実を皆さんにお伝えすることしかできません」
「原子力推進を止められず申し訳ありません」
と頭を下げてらっしゃいました。
胸が詰まりました。小出さんの講演で知った事実を一人でも多くの人に伝える。草の根的な運動ではありますが、私たちにできることから始めないと、と改めて感じました。